河野広中(こうのひろなか)
生没 1849.7.7~1923.12.29 明治・大正期の自由民権運動家・政党政治家。号は磐州。陸奥国三春藩の郷士の家に生まれる。J.S.ミルの「自由之理(じゆうのことわり)」に啓発されて自由民権思想に目覚め,民会や石陽社など政社の創設に尽力,福島自由党の指導者として活動。中央でも民権運動の指導者として活躍し,1880年(明治13)国会期成同盟を代表して政府に国会開設の願望書を提出。福島県会議長を務めていた82年,県令三島通庸(みちつね)と対立,福島・喜多方事件に連坐し国事犯として入獄。89年出獄後,衆議院議員に当選。のち衆議院議長や農商務相を務めた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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