弘長新制(こうちょうしんせい)
鎌倉中期の弘長年間に発布された公家新制。1261年(弘長元)5月11日付と,63年8月13日付の二つある。弘長元年令は,同年が辛酉の年にあたったため,徳政の一環として発布された。21カ条だったことが知られるが,弘長3年令に継承された5カ条のほかは不明。また同年の2月,幕府も61カ条に及ぶ「関東新制条々」を発している。弘長3年令は天変を契機に徳政として発布,41カ条からなる。内容は,伊勢神宮に対する幣帛(へいはく)の興行などの神事・仏事関係,華美の禁止,朝廷公事(くじ)の興行など。道祖神など辻祭(つじまつり)の風流(ふりゅう)や華美の禁止とともに,飛礫(つぶて)の禁止,印地(いんじ)と称する悪徒の戒めもみられる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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