高地性集落(こうちせいしゅうらく)
稲作に不適な,眺望のよい高地にある弥生時代の集落跡。畑作集落説,祭祀遺跡説,見張り台や狼煙(のろし)台または逃城(にげじろ)的役割をはたした防御・軍事的機能をもつ集落説などがある。数軒から20軒をこえる竪穴住居跡で構成され,基本的には平地の集落とかわらないが,環濠(かんごう)や焼土のつまった土坑をもつ例や,武器としての石鏃の出土などもあり,西日本の弥生社会の歴史的理解ともからんで軍事的機能が有力視されている。各地に分布するが,典型的な例は兵庫県会下山(えげのやま)遺跡,香川県紫雲出山(しうでやま)遺跡など瀬戸内海・大阪湾沿岸部に数多くみられ,弥生中・後期に何回か営まれた。この現象を軍事的緊張関係の反映とみて,この時期の西日本の政治的状況から説明する意見が強い。そのなかには「魏志倭人伝」などにみえる倭国の大乱の記事に対応する状況が含まれていたであろうと考えられている。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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