公議政体論(こうぎせいたいろん)
幕末・維新期の公議輿論にもとづく会議制度による国家権力構想。ペリー来航による開国要求は,幕府独裁体制の維持を困難にし,朝廷・諸侯との政治的合意・結束を求めることになった。条約締結・将軍継嗣問題における一橋派の政治統合構想が原初で,文久期の公武合体運動をはじめとして1864年(元治元)の参予会議や67年(慶応3)の諸侯会議はその実現形態である。坂本竜馬の「船中八策」などの権力再編成構想にもこの発想がある。その後,幕府の大政奉還建白を機に公議政体論は具体的となり,公議の担い手は藩主層から藩士・豪商農層へと広がり,西洋の上下議院論をとりいれる構想をうむ。維新政府も公議輿論を大義名分として五カ条の誓文と政体書にうたったが,他方では天皇を絶対化する動きもあり,公議政体論はむしろ,明治政府を有司専制として批判した自由民権運動の国会開設要求にその理念が継承されることになる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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