古医方(こいほう)
漢の張仲景(ちょうちゅうけい)著の「傷寒論」を柱とする古典医書の精神を重視する,江戸前期におこった古方派の医家。名古屋玄医(げんい)・後藤艮山(こんざん)・吉益東洞(よしますとうどう)・香川修庵・山脇東洋・尾台榕堂(おだいようどう)らがその代表。室町~江戸前期の日本の医学は中国の金元・明医学が主流であった。これを後世方(こうせいほう)という。ところが宋代から明・清代の中国の一部に「傷寒論」を重視する学風がうまれ,これに触発されたのが日本の古医方のはじまりである。陰陽五行説など中国自然哲学の影響を濃厚にうけた後世方と異なり,実証主義精神に根ざすものとされる。後世方派が奉じた金元医学は朱子らの宋学を背景とするが,古方派は宋学を批判した伊藤仁斎らの古学派に呼応する。なかでも吉益東洞は万病一毒論を提唱し,大衆医家の支持を得た。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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