肥富(こいつみ)
「こいとみ」とも。生没年不詳。室町中期の博多商人。瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の「善隣国宝記」によると,応永年間初めに中国の明から帰国,足利義満に日明両国の通信の利を説き,義満は1401年(応永8)に遣明船を計画したという。肥富は副使として,正使祖阿(そあ)と入明。翌年,明使天倫道彝(てんりんどうい)と一庵一如(いちあんいちにょ)を伴い帰国。義満は日本国王に封じられ,日明関係が成立した。以後の遣明使節は五山僧が勤めたが,博多商人が任じられたのは異例。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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