後一条天皇(ごいちじょうてんのう)
生没 1008.9.11~36.4.17 在位1016.1.29~36.4.17 一条天皇の第2皇子。名は敦成(あつひら)。母は藤原道長の女上東門院彰子。1011年(寛弘8)三条天皇の皇太子に立ち,16年(長和5)践祚する。このとき立太子した敦明(あつあきら)親王(三条天皇の皇子)は翌17年(寛仁元)に皇太子を辞退し,かわって後一条天皇の同母弟の敦良(あつなが)親王(後朱雀天皇)が立太子した。同年,摂政は道長から頼通に継承された。男子はなく,中宮藤原威子(道長の女)所生の女子2人(章子・馨子(けいし))がある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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