小磯国昭内閣(こいそくにあきないかく)
陸軍大将小磯国昭を首班に成立した内閣(1944.7.22~45.4.7)。東条内閣瓦解後の後任首班は陸軍長老とされ,小磯と寺内寿一(ひさいち)が候補にあげられたが,寺内は南方軍総司令官の要職にあったため朝鮮総督の小磯が浮上。重臣の近衛文麿の主張をいれ海軍の長老米内(よない)光政への協力要請というかたちで組閣を行った。戦争完遂を施策の第1にかかげ,戦争指導の一元化の観点から大本営への首相の列席を求めたが拒絶され,1945年(昭和20)3月に天皇の特旨で大本営参列が認められたときはすでに遅かった。この間,レイテ決戦の敗北など戦局は急激に悪化し,密かに進めた対重慶和平打診(繆斌(みょうひん)工作)も失敗,米軍の沖縄本島上陸直後の4月5日に総辞職した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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