黒田荘(くろだのしょう)
伊賀国名張郡にあった東大寺領荘園。荘域は三重県名張市付近。755年(天平勝宝7)孝謙天皇が東大寺に施入した板蠅杣(いたはえのそま)から発展した。荘園としての初見は1043年(長久4)。1038年(長暦2)杣内の見作田(げんさくでん)6町180歩の領有と杣工(そまく)50人の臨時雑役免除が認められた。これはのちに黒田本荘とよばれた。荘民は雑役免除の特権をいかして周辺の公領に出作し,しばしば国司と紛争をおこした。また出作地の領有をめぐる興福寺との相論などもあったが,12世紀半ばに覚仁(かくにん)が預所(あずかりどころ)として現地に下向し,支配を確立した。1174年(承安4)不輸不入の荘園となる。鎌倉後期以降,荘官大江氏を中心とした黒田悪党が東大寺の支配に反抗,東大寺の支配はしだいに弱体化した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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