古代末期,東北地方の奥六郡を支配した安倍氏の軍事的拠点。奥六郡では最も北の陸奥国岩手郡に位置し,北上川流域の盛岡市に比定されている。「陸奥話記」には要害の地に立地し,楼・櫓を構えて兵力を蓄えたようすが記されている。1062年(康平5)安倍貞任(さだとう)・宗任兄弟が源頼義らに攻められて,安倍氏滅亡の地となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう
この記事が気に入ったらいいね!しよう