工藤平助(くどうへいすけ)
生没 1734~1800.12.10 江戸中期の医師・経世思想家。名は球卿,字は元琳,号は万光。和歌山藩医の子として生まれたが,仙台藩医工藤家の養嗣子となり江戸詰になる。前野良沢(りょうたく)や大槻玄沢(げんたく)ら蘭学者と親交があり,海外事情を学んだ。1783年(天明3)老中田沼意次(おきつぐ)に「赤蝦夷(あかえぞ)風説考」を献上。蝦夷地開発とロシアとの交易により,ロシア南下の状況に対応すべきことを主張した。この献策にもとづき幕府の蝦夷地調査が行われ,蝦夷地開発計画が立案されたが,田沼の失脚で中止。「独考」を著した女性思想家の只野真葛(ただのまくず)は女。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう