百済河成(くだらのかわなり)
生没 782~853.8.24 平安前期の画家。百済からの渡来人の子孫。本姓は余(よ),840年(承和7)百済朝臣の姓を賜る。808年(大同3)左近衛府,833年(天長10)には従五位下を授けられ,晩年は備中介・播磨介などに任ぜられた武官であるが,すぐれた画技がはじめて正史で特筆されるほど,画家として知られた人物。「文徳実録」にも「皆自ら生けるが如し」とあり,その描法は奈良時代以来の伝統である唐朝絵画の写実的表現法にのっとっていたと推定される。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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