江戸時代,大名の支配する領地の米穀の生産量。幕府が公式の用語として使用することはなかったが,諸藩で用いられることがあった。草は稲の意味といわれ,米以外の穀物生産も含めすべて米に換算される。ただし毎年の現実の生産量ではなく,検地や新田開発により変動する生産高で,実質的には内高(うちだか)と同額であったと思われる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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