愚管抄(ぐかんしょう)
天台座主慈円(じえん)が著述した歴史書。7巻。成立は承久の乱以前とみる1219年(承久元)説・20年説と,承久の乱後とみる22年(貞応元)説にわかれ,定説をみない。公家政権が武家に対してとるべき方針や,鎌倉に下った九条道家の子三寅(みとら)(頼経)への指針として成立。記述は,九条家の一員として慈円が伝え聞いた宮中・鎌倉に関する秘事や伝聞などがあり,梶原景時失脚や比企氏の乱,源頼家の最期など「吾妻鏡」とは異なる鎌倉の記述を多く含む。巻1・2は,冒頭に「漢家年代記」を付し,神武から順徳天皇までの事績をまとめた「皇帝年代記」。順徳天皇につぐ2代は追筆。巻3~6は,慈円の歴史観によって綴られた通史。日本は王法・仏法相依の国であり,天皇家と摂関家の関係を魚水合体,武士が失われた宝剣にかわって朝家を守る姿を文武兼行とよび,鎌倉前期の状態は皇室・藤原氏・源氏を守護する諸神によって定められたとする。巻7付論は,慈円の歴史観をのべた総論。歴史を7段階に区切って道理の盛衰をのべ,道理を悟ってそれに従うことが大切と説くので,道理史観とよばれる。「日本古典文学大系」所収。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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