マリア・ルス号事件(マリア・ルスごうじけん)
明治初年,ペルー船の中国人虐待をめぐる事件。マカオから本国へむかうペルー船マリア・ルス号は,修理のため1872年(明治5)6月横浜に入港。同船の清国人苦力(クーリー)2人が脱走し英軍艦に投じたのが発端。ペルーは条約未締結国なので副島種臣(そえじまたねおみ)外務卿の指揮で神奈川県庁に特別法廷(大江卓裁判長)を開廷,船長の罪は杖100にあたるが情状酌量で無罪と判決。苦力229人を清国側に引き渡した。ペルー公使は謝罪と賠償を求めたが,75年ロシア皇帝の仲裁裁判判決は日本の主張を認め,アメリカ人顧問の援助も得て初の国際裁判に勝利。この時ペルー側から日本国内の人身売買をつかれ,芸娼妓解放令が布告された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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