三好長慶(みよしながよし)
生没 1522~64.7.4 戦国期の武将。元長の嫡男。初名利長,ついで範長。孫次郎。伊賀守・筑前守・修理大夫。1532年(天文元)父の討死により家督を継承。細川晴元の将だったが,48年離反。翌年,将軍足利義輝と晴元を近江に駆逐。52年義輝と和すが,翌年再び近江に追った。同年摂津国越水城(現,兵庫県西宮市)から同国芥川城(現,大阪府高槻市)にうつる。58年(永禄元)再度義輝と和して京都に迎え,60年には配下の松永久秀が大和を制圧,畿内全域と丹波・淡路・讃岐・阿波各国を支配下におき,みずからは河内国飯盛山城(現,大阪府四條畷市)に入った。63年に嫡子義興(よしおき)が急死すると政務への意欲を失い,翌年久秀の讒言で弟安宅冬康を殺害後,まもなく病死。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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