明恵(みょうえ)
生没 1173.1.8~1232.1.19 鎌倉前期の華厳宗の僧。明恵房高弁(こうべん)。栂尾(とがのお)上人。紀伊国生れ。父は平重国,母は湯浅宗重の女。幼くして両親を失い,高雄神護寺に文覚の弟子上覚(じょうかく)を師として出家。仁和寺や東大寺に真言密教や華厳を学び将来を嘱望されたが,俗縁を絶ち紀伊国有田郡白上(しらかみ)や同国筏立(いかだち)に遁世した。釈尊への思慕の念が深く2度インドへの渡航を企てたが,春日明神の託宣により中止した。1206年(建永元)後鳥羽上皇から栂尾を下賜されて高山(こうざん)寺を開き,観行と学問につとめた。著書に「摧邪輪(さいじゃりん)」「涅槃講式」「舎利講式」や,40年に及ぶ観行での夢想を記録した「夢記」などがあり,弟子の筆記になる「却廃忘記」など多数ある。和歌を多く残し「明恵上人和歌集」がある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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