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源義経(みなもとのよしつね)

生没 1159~89.閏4.30 鎌倉前期の武将。父は義朝,母は常盤(ときわ)御前。頼朝の異母弟。幼名は牛若,九郎御曹司と称する。のち義行・義顕と改名。妻は河越重頼の女。平治の乱後鞍馬寺に流され,のち奥州藤原秀衡(ひでひら)の扶持をうける。1180年(治承4)頼朝が挙兵するとその軍に加わり,代官として兄範頼とともに東国武士を率いて上洛,源義仲や平氏一門を追討した。地域住人に対する徹底した軍事動員と,当時の合戦の作法を度外視した戦法によって連戦連勝した。頼朝の許可なく任官したため頼朝と不和となり,平氏滅亡後,鎌倉に下向したが鎌倉入りを拒絶され,85年(文治元)10月,後白河上皇から頼朝追討の院宣をえた。九国地頭職として西国住人に挙兵をよびかけたが失敗。再び奥州藤原氏を頼ったが,秀衡の子泰衡に殺害された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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