水戸学(みとがく)
天保学・水府の学とも。江戸時代,水戸藩で形成された学問流派の一つ。藩が独自の学問流派を形成した例は他にない。2代藩主徳川光圀(みつくに)による「大日本史」の編纂過程においてうまれ,3期にわかれる。第1期は1657年(明暦3)史局を江戸駒込に開設してから紀伝の一応の完成をみるまでで,中心は光圀と安積澹泊(あさかたんぱく)。第2期は1786年(天明6)立原翠軒(たちはらすいけん)が彰考館総裁となり,紀伝の補訂が行われるなか藤田幽谷(ゆうこく)や会沢正志斎(せいしさい)らが対内外の政治社会状況の変化に応じ,藩政改革の指導理念や尊王攘夷思想を形象化する時期。第3期は9代藩主斉昭(なりあき)のもとで,第2期に形象化された思想が藩政・幕政の改革理論として実践されていく時期で,中心は斉昭と藤田東湖(とうこ)。狭義にはこの第3期のみを意味することもある。このように水戸学は,時期と担い手によって思想の性格を異にするが,その尊王論や国体論は幕末期の政治思想や近代日本の天皇制イデオロギーの思想的源流として大きな影響を与えた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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