生没 ?~1247.6.5 鎌倉中期の武将。三浦介・若狭守・相模国守護。義村の嫡子。母は土肥遠平の女。通称駿河次郎。承久の乱では父とともに北条泰時率いる東海道軍に加わり上洛。1238年(暦仁元)評定衆となるが,46年(寛元4)名越光時の乱に弟光村が加担していたため北条時頼に排撃の口実を与える。翌年,時頼の挑発にのり鎌倉で戦って敗れ,法華堂で一族とともに自殺。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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