三浦命助(みうらめいすけ)
生没 1820~64.2.10 1853年(嘉永6)に発生した盛岡藩三閉伊(さんへい)一揆で畠山太助とともに活動した最高頭取の1人。陸奥国上閉伊郡栗林村の百姓で本家は肝煎。54年(安政元)老名(おとな)となるが,同年に発生した村方騒動にまきこまれ出奔。仙台藩領の村で修験として活動したあと京都へ赴き,二条家家臣として名のることを許可される。57年帰村する途中で藩により逮捕され,64年(元治元)牢死。入牢中留守家族のために書き綴った「獄中記」は,幕末期の民衆の思想状況を知る貴重な文献。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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