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護良親王(もりよししんのう)

生没 1308~35.7.23 「もりなが」とも。後醍醐天皇の皇子。母は源親子といわれる。1323年(元亨3)頃延暦寺梶井門跡の大塔に入室し大塔宮(おおとうのみや)とよばれる。法名尊雲。27年(嘉暦2)天台座主となり討幕運動を開始。31年(元弘元)討幕運動発覚後,比叡山をのがれ,翌年還俗して護良と名のる。こののち約1年間,討幕運動の中心として令旨(りょうじ)を発給。33年の討幕後は将軍宮を称し,足利尊氏と対立して信貴山に籠城。後醍醐天皇にさとされ帰京後,征夷大将軍・兵部卿となるが,なお尊氏と対立。尊氏や新待賢門院の讒言(ざんげん)にあって34年(建武元)拘禁され,鎌倉の足利直義(ただよし)のもとへ送られる。35年中先代(なかせんだい)の乱に際し,親王が北条氏の手に渡ることを恐れた直義により殺された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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