守田勘弥(もりたかんや)
江戸森(守)田座の座元,歌舞伎俳優。江戸前期から14世を数える。初世(?~1679?)は道化方初世坂東又九郎の子で,森田座の開祖森田太郎兵衛の養子となる。以後,初世の兄坂東又次郎の家系が名跡を相続。11世(1802~63)は4世坂東三津五郎で,3世坂東三津五郎の養子。1850年(嘉永3)森田勘弥を襲名,56年(安政3)森田座を再興,58年森田を守田と改めた。生世話(きぜわ)の妙手。俳名佳朝・秀朝。12世(1846~97)は守田座の帳元中村翫左衛門(かんざえもん)の次男。本名寿作。守田家の養子となり1872年(明治5)都心の新富町に進出し,守田座を新富座と改称。劇場設備や上演脚本を改良し高位高官と交わるなど,歌舞伎の近代化,高尚化に努めた。13世(1885~1933)は12世の三男で本名守田好作。俳名是水など。屋号は喜の字屋。二枚目役を得意とする一方,新作脚本や翻訳劇にも大きな足跡を残した。14世(1907~75)は13世の甥で養子となる。本名守田好之。青年歌舞伎で当り役を演じ人気を集めた。新派女優水谷八重子(初世)と結婚し,のち離婚。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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