桃園天皇(ももぞのてんのう)
生没 1741.2.29~62.7.12 在位1747.5.2~62.7.12 桜町天皇の第1皇子。名は遐仁(とおひと)。生母は姉小路実武の女開明門院定子。1746年(延享3)儲君に定まり親王宣下。47年立太子,父の譲位により践祚。57年(宝暦7)垂加流神道説進講をめぐり,宝暦事件が発生。60年有栖川宮職仁(よりひと)親王から古今伝授をうける。死去の際,儲君英仁親王(後桃園天皇)は幼く,幕府が皇姉智子(としこ)内親王(後桜町天皇)の即位を承認するまで喪が秘された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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