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物部守屋(もののべのもりや)

生没 ?~587.7.- 6世紀の廷臣。敏達(びだつ)・用明朝の大連(おおむらじ)。尾輿(おこし)の子。「日本書紀」によると,敏達元年4月「大連とすること故(もと)のごとし」とあるが,欽明紀には名がみえない。同14年3月,疫病流行の原因は蘇我馬子(うまこ)の崇仏にあると奏し,詔により塔・仏像・仏殿を焼いた。同年8月,敏達天皇の殯宮(もがりのみや)で誄(しのびごと)を奏した際,守屋と馬子は互いにそしりあい,怨恨を残したという。用明元年5月には穴穂部(あなほべ)皇子が守屋と結んで皇位をうかがい,敏達天皇の寵臣だった三輪逆(みわのさかう)を殺害。翌年4月用明天皇が没すると,5月守屋らの穴穂部皇子擁立計画が漏洩。6月には皇子が殺され,7月,馬子の勧めにより結成された諸皇子・群臣らの軍と対戦し,射殺された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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