本木昌造(もときしょうぞう)
生没 1824.6.9~75.9.3 幕末~明治初期のオランダ通詞,日本の活版印刷業の創始者。本姓は北島。幼名は作之助,名は永久,号は梧窓・点林堂。長崎の乙名(おとな)の家に生まれ,オランダ通詞本木昌左衛門の養子となり,昌造と称した。小通詞となり,プチャーチンやペリー来航の際に通訳を勤める。1860年(万延元)飽ノ浦(あくのうら)製鉄所御用掛となり,蒸気船艦長。明治期以後は新町活版所・築地活版製作所などを創設。活字の製造や体系化を行う。「長崎新聞」も発行した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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