毛利元就(もうりもとなり)
生没 1497.3.14~1571.6.14 戦国期の武将。安芸国郡山城(現,広島県安芸高田市吉田町)城主。父は弘元。1523年(大永3)家督となり,25年以後大内氏に属した。50年(天文19)までに子元春・隆景をそれぞれ安芸吉川(きっかわ)氏・備後小早川氏の継嗣とするなど,両国における勢力の拡大につとめた。同年,不服従のめだつ家臣井上元兼らを討ち,主君としての勢威をみせつけた。51年陶晴賢(すえはるかた)が大内氏の実権を握ると,まもなくこれと敵対。55年厳島の戦で大勝し,晴賢を敗死させた。以後領国拡大を進め,大内義長を倒して周防・長門,さらに石見を掌握。62年(永禄5)からは尼子氏を攻め,66年これを滅ぼして出雲をも制圧。内政面では,まとまった法典の制定などはみられなかったが,五人奉行制とよばれる官僚機構を整備。元春・隆景に嫡子隆元・嫡孫輝元を補佐させた「毛利両川体制」は有名。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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