村受新田とも。江戸時代,1村ないし複数の村の総意で新田開発を計画・出願し,許可を得て村の負担で開発した新田。ただし形式的には村請のかたちをとっても,開発費用の負担などの問題からすべての村民が参加しない場合もある。幕府は開発された新田がその後も安定的に維持されるためには,収支を重視する町人や土地の事情にうとい他所からの来住者より,地元農民による開発が望ましいとしてこれを奨励したため,各地で開発された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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