南紀派(なんきは)
江戸幕府13代将軍徳川家定の継嗣をめぐり,紀伊国和歌山藩の徳川慶福(よしとみ)(家茂(いえもち))を推し,一橋慶喜(よしのぶ)を推す一橋派と対立した党派。慶福は1849年(嘉永2)4歳で藩主となったが,付家老水野忠央(ただなか)は慶福を将軍継嗣とするため種々画策した。一方,井伊直弼(なおすけ)は水戸藩への反発から一橋慶喜を退けるため慶福を推した。さらに関白九条尚忠や大奥をも同派とし,58年(安政5)6月大老井伊は一橋派に傾いた堀田正睦(まさよし)を罷免。6月25日慶福を将軍継嗣と公表し,7月には一橋派の諸侯を処分した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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