鳴滝塾(なるたきじゅく)
シーボルトの診療所兼私塾。1823年(文政6)オランダ商館付医師として来日したシーボルトは,はじめ長崎出島の外科室で診療にあたったが,名声が広がり,通詞の楢林塾・吉雄塾を借りて診療と医学教育を行うようになった。翌年長崎奉行の許可を得て,長崎郊外の鳴滝(現,長崎市鳴滝)に2町歩余の土地と家屋を購入,診療所兼私塾を設けた。木造2階建のほか厨房・書庫・石倉などがあり,庭園にはシーボルトが日本各地で採集した薬草類が移植・栽培された。彼は出島から通って診療と臨床講義を行い,自然科学を教授した。ここで学んだ俊才は美馬順三・二宮敬作・高良斎(こうりょうさい)・高野長英・戸塚静海ら50余人に及び,多くは次代の科学文化発展の担い手となった。シーボルト宅跡は国史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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