余一とも。生没年不詳。鎌倉前期の武士。下野国那須郡の住人。父は藤姓資隆。実名は宗隆(宗高)。「平家物語」によると,1185年(文治元)屋島の戦に源義経指揮下で参戦し,平氏方の船に掲げられた扇の的を一矢で射落とし,両軍の喝采を浴びたという。このほかには確かな史料上の所見もなく,実像は不明。幸若舞曲・浄瑠璃・能「八島」など後世の芸能にとりいれられ広く親しまれた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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