中山みき(なかやまみき)
生没 1798.4.18~1887.2.18 天理教の教祖。父は大和国山辺郡三昧田村の庄屋前川半七正信。前川家は代々浄土教の檀家であったことからみき自身信仰を厚くした。1810年(文化7)中山善兵衛と結婚。38年(天保9)10月23日,長男秀司の足痛の治療のために修験者の加持台になっていたところ突然神がかり状態になり,3日3晩続いて「月日(神)のやしろ」となったことから宗教者の道を選択し,53年(嘉永6)以降,活動を本格化させた。教義として「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」などを定め,歌や手振りを交えて布教を行った。74年(明治7)以降,官憲の弾圧をうけてたびたび留置されたが,屈することなく布教活動に努めた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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