中原親能(なかはらちかよし)
生没 1143~1208.12.18 鎌倉幕府草創期の官僚。中原広季の子で大江広元の兄弟。一説には藤原光能の子ともいう。のちに藤原姓に改める。斎院次官などを勤め,中納言源雅頼の家人。相模国で養育されて流人の源頼朝と知り合い,挙兵を聞いて鎌倉に下り政務に参じたという。頼朝の側近として活躍し,公文所寄人(くもんじょよりうど)や公事奉行人として実務にたずさわる。平氏追討の際,各地を転戦,またたびたび上洛し公家との折衝にあたった。各地に多数の所領をもち,とくに九州の所領は猶子(ゆうし)大友能直に譲られて大友氏発展の基盤となる。妻が頼朝の女三幡の乳母であったことから,三幡死去の際出家して掃部頭(かもんのかみ)入道寂忍と称した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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