中山道(なかせんどう)
木曾路・岐蘇(岨)路とも。俗に中仙道とも書いた。近世の五街道の一つで道中奉行支配に属した。江戸と京都を結ぶ東海道の裏街道的役割をはたし,宿駅は板橋から武蔵・上野・信濃・美濃・近江の各国をへて守山まで67宿。守山から先は草津で東海道に合流し,京都まで69宿ともいう。道中の碓氷(うすい)・福島には関所が設置されていた。鴻巣(こうのす)からは行田道,倉賀野からは例幣使(れいへいし)道,追分からは北国街道,塩尻からは伊那街道,洗馬(せば)からは善光寺道,大井からは岩村街道,垂井からは美濃路,関ケ原からは伊勢路・北国街道,鳥居本(とりいもと)からは朝鮮人街道がわかれる。東海道についで交通量が多く,おもな通行には大名30家余,日光例幣使,茶壺道中,和宮などの姫君の東下などがあった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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