長篠の戦(ながしののたたかい)
1575年(天正3)5月21日,三河国設楽原(したらがはら)(現,愛知県新城市)で織田信長・徳川家康の連合軍が武田勝頼軍を破った戦。73年,信玄の死により武田氏の上洛作戦が中止されると,家康は北三河の奪還をめざして長篠城を攻略。翌年に勝頼が美濃・三河方面に進出して反撃し,遠江国高天神(たかてんじん)城を落とした。75年家康は長篠城に奥平信昌をいれたが,勝頼が同城を包囲したため,家康は信長に救援を依頼し,設楽原での両軍の対決となった。武田軍の騎馬戦法に対し,連合軍は鉄砲隊で応戦して勝利する。この戦で東海地域での織田・徳川両氏の優位が確定,織田軍の北陸・中国地方への展開が可能となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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