中沢道二(なかざわどうに)
生没 1725.8.15~1803.6.11 江戸中・後期の心学者。名は義道,通称は亀屋久兵衛,道二は号。京都の機織の家に生まれ家業を継いだが,40歳をすぎて布施松翁(しょうおう)の勧めで手島堵庵(とあん)に入門,心学を修めた。のち堵庵の命により関東に下り,江戸に参前舎を設立。心学の普及に努め,庶民層にとどまらず松平定信ら大名にも信奉者を得,人足寄場(よせば)の教諭方にもなった。京都の上河淇水(うえかわきすい)の活動ともあいまって,石門心学の全盛期を築いた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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