長崎高綱(ながさきたかつな)
生没 ?~1333.5.22 鎌倉後期の武士。北条氏得宗家の被官。光綱の子。法名は円喜。「内ノ執権」と称された北条宗方が1305年(嘉元3)に討たれたのち,内管領(ないかんれい)の地位につく。11年(応長元)北条貞時から安達時顕とともに後事を託され,凡庸な執権高時を補佐して幕政の実権を握った。17年(文保元)頃,内管領を嫡子高資に譲って出家するが,その後も幕政に大きな影響力をもった。33年(元弘3)幕府滅亡に際し,鎌倉東勝寺で自害。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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