内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)
殖産興業の目的で内務省,のち農商務省が主催。明治期に5回開催。第1回はウィーン万国博覧会をモデルとして1877年(明治10)開催。審査・授賞の対象となる一般出品のほか,官営工場の最新式機械なども出品され,来観者45万余人を数えた。81年に第2回,90年に第3回が開催され,第4回は前3回の会場の東京上野を離れて95年京都,第5回は1903年大阪。この間出品点数と縦覧者は増加し続け,第5回には530万余人が訪れた。新製品や質の高い品を展示して参観者を啓発し,また審査・奨励する形式は共進会などのモデルとなり,その機能は各種の連合共進会や単発の博覧会に引き継がれた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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