仁徳天皇(にんとくてんのう)
記紀系譜上の第16代天皇。5世紀前半頃の在位という。大鷦鷯(おおさざき)天皇と称する。応神天皇の皇子。母は皇后仲姫(なかつひめ)命。応神は,仁徳の異母弟菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子を皇太子としたが,応神の死後,太子は仁徳に皇位を譲ろうとした。仁徳が固辞したため天皇空位となったところ,異母兄の大山守(おおやまもり)皇子が皇位を狙い兵をあげた。これを鎮圧した後も仁徳が固辞したため,太子はみずから命を断って即位を促したという。難波に高津宮(現,大阪市中央区法円坂)を営み,葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)の女磐之媛(いわのひめ)命を皇后として,履中・反正(はんぜい)・允恭(いんぎょう)の3天皇をもうけた。人民の苦しみをみて3年の間課役徴収を停止するなど,仁政の王として賞賛されるが,応神の事績と重なることが多く,実在を疑う意見もある。葬られた百舌鳥耳原中(もずのみみはらのなか)陵は大阪府堺市堺区大仙町の大山(だいせん)古墳にあてられているが,時期的にあわないとする見解がある。「宋書」倭国伝の倭王讃(さん)または珍(ちん)に比定する説もある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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