新渡戸稲造(にとべいなぞう)
生没 1862.8.8~1933.10.15 明治~昭和前期の教育家・思想家。陸奥国岩手郡生れ。札幌農学校在学中に受洗。東京大学選科生として美学・統計学などを学ぶが,1883年(明治16)退学し,アメリカ・ドイツへ留学,アメリカでクエーカー教徒となる。経済学・歴史学・文学・農政学などを学び,91年帰国。札幌農学校教授・京都帝国大学教授をへて,1906年一高校長に就任。人格主義教育で多大な影響を与えた。09年から東京帝国大学教授を兼務。11年最初の日米交換教授としてアメリカ各地の大学で講義する。18年(大正7)東京女子大学初代学長に就任。20年国際連盟事務次長,26年(昭和元)貴族院議員となる。33年日本代表として太平洋問題調査会の国際会議出席のためカナダ滞在中に客死した。84年発行の5000円札図案の肖像となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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