日独防共協定(にちどくぼうきょうきょうてい)
コミンテルンの活動に対抗すると称して1936年(昭和11)11月に締結された日独協定。日本側では陸軍(とくにドイツ駐在日本陸軍武官大島浩),ドイツ側では総統ヒトラーの外交顧問リッベントロップらが積極的に推進。日本外務省は広田三原則中の「防共外交」の立場から「薄墨色」程度の日独提携を支持した。当初の対ソ軍事協定案はドイツ国防軍首脳やドイツ外務省の反対で実現せず,結局コミンテルンの活動に対するイデオロギー協定および情報交換協定に,秘密協定としてソ連を対象とする政治協定を付加するというゆるやかな結合形態となった。この協定の趣旨にそうかたちで,37年5月にソ連を対象とする謀略活動協定および情報交換協定が調印された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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