小山朝政(おやまともまさ)
生没 1155/58~1238.3.30 鎌倉前期の武将。下野国の有力御家人。政光の子。1183年(寿永2)源頼朝に反旗をひるがえした源(志田)義広を破った功により,常陸国村田下荘・下野国日向野郷の地頭職を得る。その後,源範頼のもとで平家追討に従軍するが,許可なく兵衛尉に任官したため頼朝に叱責される。89年(文治5)奥州合戦に従い軍功をあげ,翌年頼朝の推挙で右衛門尉となる。建久年間,先祖以来の下野国の検断権を継承し下野国守護職を安堵され,99年(正治元)に播磨国守護を兼ねる。2年後,在京中に城長茂の襲撃を撃退。承久の乱では宿老の1人として鎌倉にとどまる。1225年(嘉禄元)下野守・従五位下に任じられ,その後出家して生西と号す。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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