小槻氏(おづきうじ)
平安前期以降に活躍した事務官僚氏族。もと近江国栗太(くるもと)郡を本拠とする地方豪族で,本姓は小槻山公(やまのきみ)。873年(貞観15)に左少史兼算博士今雄(いまお)らが平安京に居を移し,翌々年に阿保朝臣(あぼのあそん)の姓を賜って以来,その一族は算道(さんどう)から出身して大少史や主計・主税両寮官人,算博士などを歴任。今雄の子当平(まさひら)以後は小槻宿禰(すくね)を称し,禰家(でいけ)ともよばれたが,10世紀末に当平の曾孫奉親(ともちか)が官務(かんむ)(史の上首である大夫史)となってからは,代々小槻氏の長者が世襲し,官務家と称された。鎌倉時代の初めに同氏は壬生(みぶ)家と大宮家にわかれるが,後者は16世紀半ばに断絶し,以後壬生家が幕末期まで官務を独占した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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