奥山荘(おくやまのしょう)
越後国蒲原郡の北端にあった荘園。荘域は現在の新潟県胎内市を中心に広がる。摂関家領ののち近衛家領。平安末期に城(じょう)氏一族が勢力を張り,同氏が衰亡すると,鎌倉初期に相模の三浦氏の一族の和田氏が地頭となった。1277年(建治3)に地頭の時茂(ときもち)が荘内を北条(きたじょう)・中条・南条に3分して3人の孫に譲り,3家が分立。中条を領した一流は中条氏を称し,北条と南条を領した一族は根拠の地名により黒川氏と関沢氏を称した。中条・黒川両氏は独立性の強い領主として競いあい,戦国期まで活躍した。中世史料を多く残し,国人層の動きが詳細に追える。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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