岡田啓介(おかだけいすけ)
生没 1868.1.21~1952.10.17 明治~昭和期の海軍軍人・政治家。福井県出身。海軍大学校卒。日清・日露戦争に従軍。海軍省ほか軍政系の要職を歴任。1924年(大正13)大将。連合艦隊司令長官をへて27年(昭和2)田中義一内閣の海相となる。30年のロンドン海軍軍縮会議に際しては海軍部内をまとめて条約締結に寄与した。32年斎藤内閣の海相辞任後,34年に元老西園寺公望(きんもち)の期待を担い現状維持を目的とする中間内閣を組織したが,陸軍・右翼勢力からの攻撃に苦慮。36年の2・26事件では難を逃れたが内閣総辞職。その後,重臣として対米開戦に反対。第2次大戦末期には戦局収拾をはかって東条内閣の退陣を進め,鈴木終戦内閣を支えた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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