岡倉天心(おかくらてんしん)
生没 1862.12.26~1913.9.2 明治期の美術史家・思想家。名は覚三。福井藩士の子。横浜生れ。東大卒。文部省に出仕し,大学時代の師フェノロサらと国内外に出張した。東京美術学校開設準備にあたり,雑誌「国華」創刊の翌1890年(明治23)から同校校長。98年学内に天心排斥運動がおこり,辞職して日本美術院を創立した。この前後に中国,インドを旅行し,1904年からはボストン美術館勤務のため日米間を往復した。「東洋の理想」「日本の目覚め」「茶の本」をロンドン,ニューヨークから英文で出版して,東洋の優秀性を主張するとともに日本の役割を強調した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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