大村純忠(おおむらすみただ)
生没 1533~87.4.18/5.18 戦国期~織豊期の肥前国の武将。父は有馬晴純(はるずみ)。幼名勝童丸。法名理専(りせん)。丹後守・民部大輔。1538年(天文7)大村純前(すみあき)の養子となり,50年同家を相続するが,襲封後も純前の実子後藤貴明(たかあきら)を擁する一派などと抗争が続く。南蛮貿易を積極的に行い,63年(永禄6)に洗礼をうけ最初のキリシタン大名となったが,改宗を不満とする謀反がおき追放された。その後,有馬晴純の援助で復帰。80年(天正8)に竜造寺隆信の軍事的圧迫に屈服し,一時領国主の地位を失い逼塞(ひっそく)させられるなど,統治は終始不安定であった。82年,甥千々石(ちぢわ)ミゲルを遣欧使節の一員として派遣。86年子喜前(よしあき)に家督を譲り,翌年大村坂口館で死没。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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