大平正芳内閣(おおひらまさよしないかく)
自民党の大平正芳を首班とする内閣。�@第1次(1978.12.7~79.11.9)。いわゆる「三角大福」の派閥抗争のなか,1978年(昭和53)11月の自民党総裁選挙で,現職の総理福田赳夫(たけお)を破った大平(党幹事長)が組閣した。第5回先進国首脳会議の開催国になったが,一般消費税導入の企図は挫折した。79年10月の総選挙で敗北し,党内抗争が激化した。�A第2次(1979.11.9~80.7.17)。外交面で太平洋連帯構想などをうちだすが,総裁選以来の党内対立のしこりが残り,ソ連のアフガニスタン侵攻への対応などに忙殺された。1980年(昭和55)5月,内閣不信任案が可決され,大平は衆議院を解散した。総選挙の最中に大平は急死するが,自民党は大勝した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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