大判座(おおばんざ)
判金座とも。江戸時代の大判鋳造機関。金座後藤と区別するためのよび名で正式の名称ではない。1588年(天正16)に豊臣秀吉が彫金師後藤四郎兵衛家の徳乗(とくじょう)に大判製作を命じたのをはじめとして,江戸時代を通じてその一族が大判を鋳造した。後藤四郎兵衛家は元来刀剣装具の彫金をもって徳川氏に仕えたので,腰物奉行の所管であり,大判鋳造のほか,幕府の非常用金銀分銅の製作や天秤用分銅の製作・販売を行い,全国の分銅改にもあたった。大判鋳造は当初京都の後藤家屋敷内で行われたが,明暦の江戸大火後は江戸で行われ,元禄大判以降,江戸での鋳造が定着した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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