大原幽学(おおはらゆうがく)
生没 1797~1858.3.7 江戸後期の農民指導者。氏・素性を隠し,名古屋藩牢人とだけ称する。18歳で勘当され,畿内・中国・四国・信濃と流浪し,1835年(天保6)名主の依頼で下総国香取郡長部(ながべ)村(現,千葉県旭市)を訪れ,性学を説いた。38年,同村に先祖株組合を結成し家と村の復興事業を指導,この仕法は東総農村に広まった。51年(嘉永4)関東取締出役(しゅつやく)から嫌疑をうけ,教導所改心楼は取り壊され,57年(安政4)幕府評定所の判決で100日押込に処せられた。翌年3月,刑期を終えたのち長部村で自刃,墓は同所にある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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